ラダック滞在記ーその2



16.『メメ ソナム ギャルチャン』
 約15年くらい前に、20ルピ−持ってインド北部マナリーへ出稼ぎに行き、6年間で1、700ルピー貯めたという。
53歳で、ウルドウ語を話す人が少ないこの村の中で、メメは上手に話す。 いつも控えめで家の下働きに専念している。
数日前には、下宿先の隣のオヤジと二人で、山へ薪取りにロバを一頭連れて出かけた。ー20℃以上を記録するこの時期に野宿したという。
家畜を可愛がるのは殊の外で、今は数日前に生まれたばかりの仔羊にピッタリついて面倒を見ている。というのも、寒さでやられて死んでしまう仔羊がこの時期最も多いためである。
仔羊もヤギも羊もメメを見れば飛びつき甘える。好々爺。


17.『ツオックスー神へのささげもの』
ルギャリン寺での「ツオックス」作り。
材料は、ツアンパ(大麦を炒ってから、挽いて粉にしたもの)、水、黒砂糖、アンズの種(アーモンドの味)。これを混ぜてロケット形に作り上げる。その尖った先に、バターで赤い染料を溶いて塗り付けて出来上がり。
 村の家の数だけ作り、はじめ寺で僧達がお経をあげる際に同室に置かれ清められる。その後、一軒一軒に配られる。


18.『プジャーの太鼓』
 数日前から、この家のオヤジさんが野性のヤギの皮をなめしていた。
「何するの?」と聞くと、「プジャーの時の太鼓を作るんだ」と言って倉庫から太鼓の真新しい木枠を持って来て見せてくれた。
 プジャーとは、日本の法事に当たるもので毎年一回、冬の今頃の時期に各家で行われる。先々日、他の家で行われたプジャーを見た。
 狭い部屋に、ラマ僧が4人。二人づつ向い合せに座ってお経を唱えている。ある一瞬をとらえて、ラッパ、シンバルそしてこの太鼓を、プワー ジャンジャン ドンドンとやる。右手前のラマ僧が座ったまま肩たたきの様なバチでこの太鼓を打ちならす。  日本の木魚を打ならしながらのお経から比べるとなんと賑やかしい事だろう。
 さて、この家のオヤジさんに質問した3日後、いつの間にか立派な皮が張られた。太鼓は、朝から化粧をされていた。仕事をするのは、この村の絵描きさん。唐草とボタンの花で模様で朱、ピンク、緑、青と染められていく。
 泥絵の具を溶き、そして一方ニカワを温めながらの作業。夕方3時半ともなれば太陽が山の影に隠れてしまう。するとにわかに寒さが増してくる。地酒のチャンをチビリチビリやりながらの作業もさすがに寒さには勝てず中止となる。
 あとは、部屋の中で続けられたが、丸3日かかって外枠と握りの総ての絵が仕上がった。あとは、来年のプジャーを待つのみ。


 19.『リクジンナムギャル』
 下宿先の16歳になる次男坊。一人前にタバコをプカプカやり、チャンを飲み過ぎると、しまいには泣き出すという可愛い子。
小麦粉の運搬、家畜の世話等おじさんと一緒にやっている。今年の暮れには長男の嫁とこのリクジンが結婚式をあげるという。長男は、隣街の電気技師だが家にはめった帰って来ない。
 少しひよわな長男に比べ力仕事や実務面でテキパキやっている次男の方が、たくましく写ってくる。
 日本のかつての農村の次男三男が、つらい思いをしたのと同様だが、なぜかラダックでは、悲哀感は余り感じられない。


20.『トッパー』
-20℃-40℃を記録するこのラダックでは、冬の時期身体の比較的弱い子供達が病気にかかる事が多い。
それで、年に一度、半ば子供達自身で料理を作るのだが御馳走を作る。今回は、トッパー(野菜、豆入りスイトン)。 乳幼児から12歳前後の子供が対象。みなで“オムマニ パドメフン”を唱え疫病払いをする。
なんと言っても、みんな楽しそう。


21.『マニ塔とマニ石』
アルチの村から隣村のサスポール迄、約6kmの道のりがある。全く人気のない道中に、無数に並んだマニ塔(宝珠)とマニ石がある。人々は、必ずその左側を通る。
マニ石の上に並べられた石には“オムマニ パドメフン”の言葉がラマ僧によって彫られている。
冬の間、吹きすさぶ風以外の音がしない。生き物がいない。地獄絵図のような景色の中、人々が時折通り過ぎる。
つい2〜3日前、道中で初めて体長5mm程のクモを見た。


22.『雪』
年間降水量が、100ミリというこの地にパラパラと、突然雪が降り出した。それは、数分もしない内に、畑や山を白いベールで覆ってしまった。
鳥は、木の枝でうずくまり、猫は家に飛び込んで来た。けれど子供達は、一層元気にワイワイ キャ−キャ−跳ねまわっている。 雪は、子供の友達なのか、、。
隣の家のおじいさんとおばあさんがせっせと薪を屋根から降ろす。娘達が慌てて小川迄水汲みに出かける。 夜は近い。
子供達は尚時間を忘れて ワイワイキャ−キャ−遊びまわっている。



23.『伐採』
およそ3時間かけてやっと切り倒した。
初め3人がかりでノラリクラリと根っこを掘り返し、不要な枝を切り落とし、木の上の方にロープをかけた。そのうち見物人がワイワイ増えて合計10人。
オノやらつるはしで土を掘り木の根を切る。 イチニイサーンで幹をロープでひっぱるが、抜けそうで抜けない歯の様に、グラグラするだけ。その度に、また根っこを掘り返し細い根を切る。
何度かその動作が繰返されて、やっとミシミシ バッサーンと木は倒れた。そこにいた当事者、見物人達が一斉に歓声をあげた。


24.『新年を迎える準備』
午前10:30 アバとホンギャルが、杉の枝とチャンのカメを抱えて何処かへ行く。
「何処行くの?」 「おいで」
ついて行った。
このアルチの村に一つ小高い丘がある。その頂上にブロック造りの寺のようなものが一つポツンとあり、その周辺にマニ塔が、1つ、2つ、3つと並んでいる。
 そのやしろのタルチョーを新年になったので、新しいのに取り替えるのだ。 入り口らしきものもないこのやしろは、高さ約3mで一方に大きな窓、残りふた方には30センチ四方の小窓がある。 階段もなく2m程の高さをよじ登って中に入るが、中は、大人7人座れば一杯になってしまう。
そこでチャンを飲みながら新しいタルチョーの縫い付けチョッパ−作り、肉を焼きロテイ(パン)を焼く。
仕事が終わる頃、村の楽団 太鼓たたきとラッパ吹きの二人がやってきて、トコトントコトンピュー。
そのうち正装した村の若者5人が、鈍調なリズムの踊りをやしろの前の広場で展開して行く。


25.『新年を迎える準備ーつづき』
日本で新年を迎える時、神棚のしめ縄等を取り替えるが、それと同じようにチョータルといわれる神様への飾り物を村人の何人かが取り替える。
 その間、楽士は太鼓を叩きラッパをならす。村人は、酒(チャン)を飲みパンを食べる。そして踊る。 冷たい風が吹きまくる中、たき火を囲む子供達。新年(ロサール12/8〜15)を迎える準備が着々と進められて行く。


26.『らくがき』
壁にいたずら書きがある。日本と変わらないな−と、何やら親近感を覚えていた。
「あれ、日本にもあるんだよ」と、一少年に言うと、
「あれは、病気払いのおまじないだよ」と言う。
詳しく聞くと、その家で病人が出ると、厄払いにそれを描くと言う。
なる程、注意してみると村の少なくないの家の壁に、三角形やら斑点が描かれていた。
けれど、この家のように、病気退治をしている人を描いたのは、見かけなかった。よほど大病だったのだろう。
なにか素朴な、人々の精神生活が伝わって来た。


27.『チシュー』
チシューと呼ばれるお経を唱える集まり。
近所の人が集まるのだが、いわゆる上座に座った二人は、長老。
お酒の酔いもまわって多少ごきげん。5時頃から始って9時には終了。
大きな瓶の酒も底をついて、皆で最後にパンと神様に捧げたお供物を分けて食べた。


28.『べダパ』
私達の下宿先の屋号は「ベダパ」。
昨年改築したばかりでとても新しい。
右端の外壁にぶら下がっている“一物”は、俊一が、何かの事でハシゴをかけて作業している時、落ちそうになってパッと掴んでその存在を知った。
初め驚いたが、病気よけのまじないと聞いて、この村の人々がいまだ深くシャ−マニズムと結びついているかを見せつけられた。 と、同時に壁に描かれた病気よけ、厄よけの絵といいそういうものに頼らざるを得ない村人の生活を思った。
ベダパの主人は、今年はこの上に、ガラス張りの部屋を作るのだと言う。
年間降水量100ミリといわれ湿度が低く、また、冬はー20℃にもなるこの地では、きっと、すばらしいサンテラスになるだろう。


29.『ラマズグー』
新年に現れた“ラマズグー”。
ラマズグーは、悪例を追い払う霊。
大ラマズグーは右手に豆太鼓を持ち、小ラマズグーは角の様な刀を持っている。
新年初めまず村中をワ−ワ−奇声を発して豆太鼓を打ならして歩きまわる。 次には、村の王様の城跡等に現れて踊り、ガブラとこの絵の左端にいる“カロック”を先頭に村の青年達7〜8人で組まれた踊り子達と共に、アルチ寺大日堂で奉納踊を繰り広げた。 そして、そのあと村の家々を一軒一軒訪れてその家の悪霊を追い払う。
行く先々でチャンの御馳走になり、また顔に墨を塗られ、頭に羊の毛が加えられてしまいにはフラフラになってしまう。
下宿に来た晩には、一踊したあと、チャンを飲みラム酒が出されごはんにおかずは、肉とジャガイモのカレ−煮という大御馳走でもてなされ、この家の悪霊をすべて追い払ってくれた。


30.『語らい』
子供の出産祝いの席での老婆二人の語らい。
何を話しているのか聞こえない。また、聞こえても内容がわからないだろう。
取りとめもなく話をしている様子だけが伝わってくる。
二人とも60歳以上、顔に刻まれた深いしわが生活経験の豊かさを表している。 まわりで子供達がワイワイ騒いでいようが、二人の会話を妨げる事はない。 時折、チャンをあおってまた話は続く。

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