ラダック滞在記ーその3



31.『スピトク寺の祭り』
開帳されていない仏画の前にひざまずいてお祈りをする人達。首席僧の席の前でひざまずく人達。妻、子供、祖父母を引き連れて席を求めて歩きまわる男等々。
まだ祭の始らないこのスピトク寺の中庭は、犬まで紛れ込んでごったがえしている。 既に席を決めこんだ女達は、寒いのにまんじりともせずあてもなくこのザワメキを見ている。
人は、何日もかけて、この年一回の寺の祭見学にやって来た。 プア〜ドンドン、突然始ったタイコ笛に女達の目が急に輝きだした。


32.『一軒家』
アルチ村のはずれの一軒家。
片やインダス川、片や崖に挟まれた辺地。
ひっそりと静まりかえって時間と時間の空間にすっぽり落ち込んだ錯覚を覚える。


33.『民家の中庭』
ほとんどの民家の中庭には、家畜が放たれている。
この家は、豊かな方で、ゾウ(ヤクと牛との間に出来た子で一代限り)2頭、ロバ2頭そして、塀越しに牛が6頭、ヤギ、羊が、10数頭いる。
 ゾウは、2頭とも毛並みが見事で立派。そして大きな角を持っている。この近所でも、この家だけゾウがいる。
ものすごい威圧感がある外見の割には、信じられない程おとなしい。それでも、狭い路地をノッシノッシと歩き回ると、小さな子供が恐れて逃げ回り、羊もヤギも慌てて飛び退く。


34.『いとこどうし』
チャンヌルブー10歳(左)とセタンプンツオク8歳(右)
セタンプンツオクの父親は、下宿先のおやじの弟。分家して“ベダパ”という同じ屋号を名乗っている。
なぜか、我が下宿のおやじ達としっくりいっているでもない。母親の方は、すぐ目の前が実家。子供達は、母親の実家に入り浸りですぐ隣の“ベダパ”には、あまり出入りしない。
親の関係が、子供にすぐ影響するからか、、。 この地では、普通兄弟にひとりの嫁である筈なのに、分家して一妻一夫である。このあたりに、何か冷たい関係の理由があるのであろうか。推し量る事は、出来ない。


35.『タシラモウ 18歳』
アンズの木に登るから絵を描けという。
つい先日、結婚式をあげたばかりでお婿さんの家は、レーにある。
今は、実家に戻っているが、明日再びレーに行くと言う。
結婚してから、見る見る内にきれいになって活き活きしている。
この辺の女達は、老いも若気も集まると卑猥な冗談を言ってキャーキャー楽しんでいる。 そのあけすけな明るさがとても良い。


36.『俯瞰』
完全なる一戸建ての家も多いが、この様に棟続きの長家風な造りもまま見られる。
大概が、親戚関係になっている。
山の斜面に添うように建っている家々は、少ない耕地面積を幾分でも減らさない為でもある。
屋根越し、塀越しお互い呼び合う声が、対岸の山壁にこだまして返ってくる。
ヤギやら羊の鳴き声も混じって、のどかな春の一日は過ぎて行く。


37.『一人遊び』
いつもは悪戯ばかりして、うるさい下宿先の前の家の8歳の娘。
今日は、いつになく静か。見ていると、羊の糞を集めて小石と混ぜている。羊の糞は、丁度黒エンドウ豆と同じ形。
混ぜ合わせた糞と小石を自分の服に入れてそれでおはじき遊びを始めた。
30分くらい、珍しく静かにひとり遊びをして大人しく家へ帰って行った。


38.『トコヤさん』
雪の晴れ間に、窓の下で何やらうるさい。
見ると隣の兄さんが、クシとハサミでトコヤさんをやっている。
もちろん無料。
本日のお客さんは、左隣のお兄さんと下宿先のおやじさん。
おやじさんのスタイルは、後頭部中央の毛を少し残してトラ刈り。 若い兄さんの方は、今はやりの若者スタイル。
テキパキと勇断に切って行く。 とてもうまい。


39.『ロッパー作り』
ロッパートは、女性が背中にかける山羊の毛皮の事。
毛皮は、剥がされたあと、すぐ手によって良く揉まれる。 一日で柔らかくならなければ、二日程かけて揉まれる。 (この絵のおじいさんがしているのが、この作業)
次に、毛の方をを下にして皮の上に酒で柔らかくなった小麦を載せて1〜2日置く。 そして、最後にその小麦を取り除きシャベルで皮をなめしておわり。


40.『医療救急センター』
小さな村にある医療救急センター。医者(カシミール人)一人、看護婦(ラダック人)一人が在勤。
先々日、下宿先の嫁さんが左下腹に激痛を訴え苦しみながら丸二日間寝込んだ。
この医療センターは、まったく無視された。 代わりに、この村に古くからある日本流に言えば、“漢方医”からお金を出して薬を買って来た。 痛みも止んだ日、一人の老人がやって来て半日お経をあげた。そして、この家の外壁にレンガ色で三角の印を2つ3つ描いた。すべて病魔払いの行為だと言う。
この医療センターは、出来てどのくらい経つのか知らないが、一日にせいぜい2〜3人の患者が、それも学校を出た人が来るだけと言う。
まだまだ歴史の奥深くに潜んでいるような、このアルチ村、ラダックだと実感した。


41.『ゴンチャース作り』
羊の毛糸で織り上げたあとの布を、木の根っこの染料で小豆色に染めあげ、日本の着物と同じように縫い合わせていく。 日本のそれよりは、複雑でないが前を重ね合わせるなど大体同じ様な構造になる。
早くて一日、普通でも2〜3日で出来上がる。その家の羊の持ち数や必要性にもよるが、一年に一着作るのが平均的のようである。
一着のゴンチャースは、ボロボロになるまで着尽くされる。


42.『郵便』
村には、赤い色の郵便ポストが2つある。
一つは、郵便局のすぐ傍と、残りは私達の下宿のすぐ傍。利用する人は、さほど多くないが結構マメに点検されている。
私達の日本から来る手紙は、早くて2週間。遅くて一ヶ月近くもかかった。 このアルチ村まで手紙が届く経路は、ニューデリーからレーを経由しカルチ→サスポール→アルチという風に途中2地区の郵便局を廻ってくるので時間がかかってしまう。 また、サスポールの郵便局員は、片道6Hの道のりを歩いて運んでくれる。
お世話になりました。


つづく
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