オ−ベルニュの滞在について

滞在期間:1989年9月〜1991年11月
滞在地: オ−ベルニュ地方 ポルミニャック
     マリーアントワネット プデロウ婦人宅に下宿
     
フランスへ行こうと決めたきっかけは、東京銀座の資生堂ギャラリーでの個展が決まり、俊一(夫)に、『それならジュンチャン フランスだ。行ってこい』と一言。そう言った本人は、さっさと中国へ飛んでいってしまった。
昔チベットで出会ったフランス人カップルのスペイン国境にある彼等の山小屋に一ヶ月程居候をしたことがあります。そんな関係で、フランスには多少なりとも縁はありました。が、スケッチ場所を決めて滞在となると、話は別。 
 中部フランスにあるその友人の家をスタートして目星をつけた所を順番に訪れました。フランスの地方都市は、例えばCollogne la Rougeのように中世からその時を止めてしまったような町並み全体を残した所が本当に多かった。でも、私が望んでいたのは、ごく普通の生活のある中に溶け込んでスケッチをする事。今から思えば、なぜポルミニャックを滞在地と決めたのか?結局、ここでもいいかな−と思った時に、下宿を見つけてくれたり助けてくれる人がいたことだろう。

この地方は、マシッフサントラルと呼ばれるフランスの中部山岳地帯で、村の人口約1200人に対し
牛3000頭以上。深く長い谷は、放牧場と森に囲まれる。村人には、長生きの人が多かった。

牧童達の生活は、昔のままを残している感があった。石作りの暗い部屋に細長い木のテーブルにベンチの椅子。
そこでワインを飲みながらパンとサ−デインの昼食を黙々ととる。オキシタントと呼ばれる言語を使う人もいた。

  朝、下宿の窓をあけると冷たい霧の中にヒマラヤ杉の香りを含んだ空気が流れ込む。一番印象深いのは、菩提樹の花の頃。部屋中、甘く爽やかな香りに満ちた。
 夏には、放牧場を囲む柵や石垣沿いにたくさんの"ミュー"と呼ばれる木いちごがなり手も口も紫になる程食べた。秋には、林の小道にヘ−ゼルナッツが採れたし放牧場ではたくさんのマッシュル−ムが採れた。うまかった!!
 冬は、木の幹を氷が覆う程寒いが、大家さんのネネットがオ−ブンで焼いてくれたレンガを新聞紙に包んで湯たんぽ替わりにした。

 一番困った事は、春から夏にかけての蛇の出没。スケッチに通う森の道に蛇が出る。スケッチしている私の足の下に蛇が出る。もう、半泣きでスケッチに行った。  それでも、フランスでの滞在が一番いろいろな意味で楽だったようだ。が、一週間に一度の割で届く中国桂林にいる俊一からの手紙だけが心の支えだった。
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